大抵の場合、握り寿司はひとつのネタにつき、ふたつでワンセットになっていますが、これはどうしてなのでしょう。そもそも握り寿司は江戸時代の後期、文政年間(1818~1830年頃)に登場したというのが定説になっています。それまでは寿司といえば関西風の押し寿司が一般的でした。この握り寿司を考案したのが、現在ではレストランチェーンの名前にもなっている華屋与兵衛という人物だとされています。握り寿司は「江戸前ずし」とも呼ばれ、庶民の味として人気を集め、江戸の食文化のひとつとして定着していきました。当時の握り寿司は屋台で出されるもので、小さめのおにぎりぐらいの大きさがあり、食事というよりは小腹の空いたときにつまむおやつといった位置づけでした。だいたい、大人の男性がひと口半かふた口で食べのがやっとという大きさだったそうです。やがて、座敷に座って握り寿司を食べさせる「内店」という店舗も登場します。内店では主に持ち帰りや配達で握り寿司を売っていましたが、内店の登場によってこれまで屋台に立ち寄らなかった若い女性や子供たちも握り寿司を食べるようになりました。そこで、そんなお客たちが大きな握り寿司を食べやすいように半分に切って出す店も現れました。しかし、寿司飯の「シャリ」はもともとお釈迦様の骨を意味する「仏舎利」が語源であり、それを切るのは罰当たりだということで、大きな握り寿司ひとつ分の寿司飯をふたつに分けて握るようになったそうです。これが、ひとつのネタが小さな握り寿司ふたつでワンセットになった始まりといわれています。ちなみに握り寿司は「貫(かん)」という単位で数えます。この語源も諸説あるのですが、江戸時代の大きな握り寿司が、穴あき銭をヒモに通してひとつにした「貫」と同じぐらいの大きさだったからという説があります。かつては握り寿司2つセットで「1貫」としていた店もありますが、現在ではほとんど店で握り寿司1つを「1貫」として数えています。